山崎、ショート動画の最後に行ってみた

環境デザイン学科研究室

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夏休みの最中、陽炎の湧き立つアスファルトと26.5℃に保たれた自室とのコントラストに辟易した私は、ただひたすらにショート動画をスワイプしていた。

画質の悪いドライブレコーダーが撮影した交通事故の動画であったり、おっちょこちょいな犬がプールに落ちる動画、露出の激しい女性が懸命に流行りの音楽で踊ってみせる動画、誕生日の息子の顔面にケーキを投げつける家族の動画、バラエティ番組を切り抜き無断転載した動画、金持ちが砂漠の真ん中でコーヒーを飲むための準備をする動画、黒いゴム手袋をつけて飯を食う動画、指先の動きに合わせて様々な動画が暇無く枚挙され、思考を数十分前にやめた脳みそにぼんやりとした快感を叩き込む。

このショート動画というのはとにかく心地がいい。それは10代20代の利用率を見ればわかることだし、一日の大半がそれに注ぎ込まれてることが何よりの証拠である。

15秒という時間には何も考えずともわかる安直な笑いが溢れていて、エンタメや情報が凝縮している。刺激的な映像の背後ではサビ部分が切り取られた耳障りの良い流行りの音楽が流れていて、指先をチョチョイとするだけで視覚と聴覚を程良く愛撫する動画が現れては消える。

無数の動画を渡り歩く時、些細な心配事や締切が迫っている課題の事などは世界各国のあらゆる動画によって霧消される。心地が良い。

心地が良い。…..。心地が良いのだが……..。

どう頑張っても最後に辿り着けない。

次こそはきっとショート動画が終わると期待しながらスワイプするのだが、数十分前にも見たようなオーバーリアクション外国人の動画が出てくる。その次も、その次もショート動画の終わりではない。そのうちに腹が減ったり、洗濯機がピーピー鳴き出したりしてスワイプする手を止めてしまう。こんな調子だから一向にショート動画の終わりが見えてこない。

起床するなり重い瞼を見開きスワイプを開始し、トイレに入りながらスワイプ、歯を磨きながらスワイプ、バスを待っている間にもスワイプ、講義の途中でスワイプ、ご飯を食べながらスワイプ、湯船に浸かりスワイプ、髪を乾かしながらスワイプ、寝るその間際までスワイプ。

一流のスワイパーというのは私がスワイプをやめたこの瞬間もショート動画の最後に辿り着くために時間の間隙を網羅してスワイプしているのだ。

このような人間を見ると己の鍛錬を怠らない殊勝さに目眩を起こし、自分も一日にもっと沢山のショート動画をスワイプできるようにならねばと身を引き締めるのである。

しかし、ここ数年解決できていない一つの疑問がある。

ではなぜこのような優秀なスワイパー達が365日世界中でショート動画をスマホ上方に押し出しているというのに、最後に到達した人物は現れず、またその終点に何があるのか全く分かっていないのだろうか?

ふとインターネットでこのショート動画の起源について検索してみる。

2014年頃に誕生したmusical.lyというアプリがショート動画の元祖的存在、すなわち15秒程度の短い動画に耳障りの良い音楽が引っ付き、それらが連なっているという媒体の始祖であり、そして人間がショート動画の最後に向かい始めた発端であるということが分かった。

musical.lyはその後TikTokという名前に変わり世界規模で普及、さらにInstagramではリール動画、YouTubeではYouTube shortsなどと他の媒体でもショート動画が勃興、そして現在の指先のリズムに合わせて我々に様々な動画を枚挙し続ける体制に至るのである。

 

…….10年だ、人々がショート動画の終わりを目指し始めて10年の歳月が経過しているのだ。

このどうしようもない事実を目の当たりにした私は人類の歩んできた途方もない歳月に思いを馳せた。

大学生は目前に控えた課題を傍に安置し、定期テストが眼前まで迫っている中高生もそれらを唾棄するが如く意気込みでスマホを見つめ、入試試験の足音が背後で鳴り響いている受験生もまた単語帳を鞄の奥底に押し込み電車の中で懸命にスワイプしている。

各々が大切なものを犠牲にしてショート動画に真摯に挑んでいるというのに、ショート動画は10年間も沈黙を貫いている。

まだ人類はスワイプが足りないというのか?

9:16の比で形成され、スマホの画面いっぱいに展開されるショート動画が脳裏をよぎる。

沸々と身体中にやるせない怒りが充足していくのが分かった。

ショート動画は我々の努力を踏み躙った。

このままでは終われない。

課題、講義、受験勉強、睡眠時間、本来人間を豊かにする隙間時間………..他のスワイパー達がそれなりのものを対価として捧げ行っている血の滲むような努力に泥を塗らないように、私はこの有り余る夏を生贄に捧げ、ショート動画の最後をこの目で確認してやると、寝相に犯されたぐしゃぐしゃのシーツの上で決心した。

突発的な覚悟はたいてい脆く不安定であるが、この時の覚悟は材質が全く異なっていた。

それからの私というのは今までの生活を見直し、来る日も来る日もInstagramに入り浸り、画面をスワイプし続けた。

24時間、視界の何処かでショート動画が明滅している生活を送ることによって、画面上を滑る指の平はスワイプに適合するように変形し、スマホを長時間支える為の窪みができた小指は重みのせいで手の平の外側に反り始め、身体はショート動画を覗き込むのに特化した猫背とストレートネックを得た。

踊る猫、衛生とは無縁の異国の地の屋台料理、KPOPで腰をくねくねさせる男達、確かめる価値もなさそうなライフハック、巨大で色とりどりの綿飴、コーンロウに挑戦する外国人、道ゆく人のファッションチェック、医療脱毛、論破される政治家、合成音声による支離滅裂な映画紹介、中国の通販で買った激安化粧品紹介、喋る犬。

身体も生活もショート動画の最後の為に矯正し、世界各国のあらゆる動画を見た。

しかし先人達もそうであったように、ショート動画の終わりにはなかなか辿り着けなかった。

いくら進もうとも、常にどこか既視感のある動画が現れるだけだ。

それでも私は失われた10年を想い、スワイプを続けた。

「もしかしたらもう夏休みは終わっているのではないか。」という不安が何度も何度もちらつき始めた頃、取り巻く世界が徐々に変化し始めた。

他人の承認欲求に矮小化された思考は不透明になり、延々と続くショート動画をスワイプしていると、度々ショート動画の敷き詰められた長い道を歩いているような感覚に私は陥るようになっていた。

それは制御不能になった器官が四六時中排出するドーパミンによって早められた鼓動を運動時の脈拍として、また長時間同じ姿勢を取り続けた為もたらされた足の浮腫や痛みを長距離の移動の為だと誤認することによって、より心身性を持って体感するようになっていく。

9:16の比の動画が敷き詰められている道を歩く。

スワイプすると次の動画に進む。スワイプするとまた進む。一歩一歩着実に進んでいく。

後ろを振り返ると今まで見てきた動画がずっとずっと奥の方まで上下左右に蛇行しながら伸びている。ずいぶん遠くまで来たのだなと思いながらその道をぼんやりと眺める。二つ前の動画を思い出そうとしたが全く思い出せなかった。

とにかく進まなければならない。次の9:16の動画に進む。何かの転載を転載したような画質の動画でどこかで見たことのあるような動画だった。次の動画に進む。そこもまたショート動画の終わりではない。また次の動画もまた次の動画も。

ショート動画の道をぽつりぽつりと歩いていると、道の先に二人の人間が立っているのが見えた。

ショート動画をスワイプして彼らに近づいてみると、二人ともショート動画の束を片手に持っていて、続く道のその先にどの動画を敷き詰めるのか議論しているところだった。

議論に熱中しているらしく、なかなかこちらの存在に気がつかない。近寄って話を聞いてみる。

「そのくだらない動画は過去にも見せたことがあるからダメだね。こっちの女性の筋トレ動画にしよう。こいつは背が高くて筋肉があるガタイのいい女性に目がないんだ。僕のアルゴリズムがそう言っている。」

「だったら河合優実の写真にしないか?こいついいねしないけど出てくると毎回保存してるぞ。ろくに作品も観てないくせに一番のファン面してやがる。筋トレ動画も良いが、今こいつがハマってるのは河合優実だ。」

アルゴリズムとやらで赤裸々にされる自分の趣味嗜好は聞くに耐え難い。

中断するように後ろから話しかける。

「あぁあの、す、すいません。」

二人は大きく身体を跳ねさせ、展開していた議論をすぐさま終了した。

ゆっくりと息のあった様子で二人はこちらを振り返る。

大きく目を見開き事態を把握しようとしている二人の男性はInstagram開発者のケビン=シストロムとマイク=クリーガーだった。

ショート動画の道の上で、三人の間を静寂が漂う。足元のショート動画が2回目の再生を始めようとした時、ケビンが酷く動揺した様子で「アルゴリズムはどうした?!!Xの回し者か!!??」などと訳のわからないことを叫んで逃げ出した。

更に動揺した私はケビンの足に飛びかかる。

彼が履いてるニューバランスが何度か私の顔や体に勢いよく沈んだ後、動揺で固まっていたマイクが私を引き離そうと下半身を引っ張ってきた。しがみつく私がマイクによって足から引き剥がされると同時に、足がもつれたケビンは横転し、持っていたショート動画を地面にばら撒く。

衝撃の加わったショート動画は流行りの音楽を大きい音で流し始めた。

爆音で音楽が流れる中、ショート動画の散乱する地面に横たわり、私に怯えるケビンは「お前が後で見返そうと保存してる美女のリール動画を全世界に公開して、猫動画を削除するぞ!!?」と聞いたことのない脅し文句をよこしてきた。マイクに羽交い締めにされている私は、流石にそれは困るし、何か勘違いされているらしいのでXの回し者ではないことと、単純にショート動画の終わりを探していることを伝えた。

するとマイクは羽交い締めを解き、ケビンはホッとした様子で立ち上がり、散乱したショート動画を集めながらポツポツと話し始めた。

「君はさっき終わりを探していると言ったね。だけど残念なことに、このショート動画に終わりなんてものはないんだよ。君が人生を賭けてスワイプしたって終わらない、スワイプを孫に託したっておなじことさ。」

先程までの取り乱した様子はなく、落ち着いた様子でケビンは話す。

去勢された猫がそれを確認して驚いてるショート動画を拾っているのがここから見える。

「これはなるべく長い時間Instagramっていうプラットフォームに居させるためのものなんだよ、それに‘‘終わり’’なんて必要だと思うか??僕はスタンフォード大学を出てるんだぞ。舐めんな。」

私の顔には一瞥もくれず淡々と地面のショート動画を拾っている。

今度は二重整形のビフォーアフターの動画だ。

押し出すように問う。

「じゃあここはどこなんだよ。」

背後に立っていたマイクがケビンよりかは優しい口調で話し始める。

「ここはね途中なんだよ、終わりなんかじゃない。ほらこれ、これから敷き詰めるやつ。」

手に持っていたショート動画の一部を手渡される。

一番上にはAIが生成した支離滅裂な動画があった。

「もう行くね。」

そう言うとマイクは呆然と立ち尽くす私の手元から優しくショート動画を引き取り、すでにショート動画を敷き詰め始めているケビンの元へ歩き出した。

私はスワイプする手を止め、見えなくなるまで彼らを見つめていた。

ショート動画旅は創造者との邂逅によって幕を閉じ、私は酷く澱み停滞する空気に薄暮期の曖昧な光が差し込む自室に突然置き去りにされた。

発熱するスマホを傍に置くと、空腹に腹がうねっていることに気がついた。

中途半端に廊下を塞ぐゴミ袋を跨いだり避けたりしながらコンビニに行くために玄関に向かい扉を開ける、すると待ち伏せされていたかのように、盛り上がりを見せる夏の熱波が身体を包む。

むさ苦しい空気を掻き分け、早くも滲み始めた額の汗に苛立ちながらコンビニ行き、カップラーメンを買い、逃げるように帰宅する。

過剰に暖められた空気を締め出すように玄関を閉じ、冷たい自室の空気に飛び込む。

即席物の容器が山積みになり小蝿が集っているシンクを横目に、鍋に水を汲み火にかける。

沸騰するまでの間暇なので冷蔵庫を開いてみると下の方で何かの野菜が真っ黒く爛れて液体を垂れ流しているのがチラリと見えた、しかしどうすることもせず、ゆっくりと扉を閉じた。背後にある洗濯機にはいつ洗い終わったのかわからない洗濯物が生乾きの湿った匂いを纏って潜んでいた。

買ってきたカップラーメンのゴミを、口の開いた燃えるゴミの袋に捩じ込み、沸いたお湯を注いで部屋に戻る。

乱雑にものが置かれた机の上を、カップ麺を置くために力任せに払うと、ボトボトと机の辺から色々なものが落ち、音を立てた。

食べ残しに膜が張っている皿や飲みかけのペットボトル、蓋が開けっぱなしになっている調味料、汚れがついたままのスプーンなどに囲まれてカップラーメンは静かに湯気を立てている。

カップ麺ができるまで後数分ある。

陽炎の湧き立つアスファルトと26.5℃に保たれた自室とのコントラストに辟易した私は、再びスマホを開きショート動画をスワイプし始めた。

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