建築・環境デザイン学科山崎の一人踊り

委員オーキャン

生茶とぶぶか、キシリトールを大学内にあるコンビニで買い求めた後、私はデザイン棟五階に向かった。

目的の部屋は四年生の教室の向かい側に存在していて、中心にパイプ椅子で取り囲まれた机が置かれている事以外特筆すべき点のない部屋である。

その殺風景な部屋に差し込む光に照らされている男がいる、Mだ。奴はかなりの高身長で下手に並ぶとFBIに捉えられた宇宙人のようになってしまうから気をつけなければならなく、その上ファムファタールでさえその運命を捻じ曲げられてしまうほど良い男なのだ。

くそっ今日も今日とて、イケメンじゃねぇかなどと考えながらパイプ椅子に座る。軋む音を聞きながら、大きく切り抜かれた窓の外に視線を移す。

灰色のビル群が空との境界線を無理やり引いたような直線的でギスギスした排他的な空は見当たらず、これから解放されるであろう夏の青々とした力を孕んだ山が、降りてくる空と対等なせめぎ合いを見せる雄大な景色が、M越しに広がる。

しかしここでこれから開かれる会議の最中そんな自然の雄大さは忘れ去られてしまう。

侃侃諤諤の大論争の中、皆が緑を忘れ、山を忘れ、窓を忘れ、部屋を忘れている。念頭にあるのはオープンキャンパスの遂行それのみである。そんな会議が開かれようとしてるなどとは露知らず、容器の中で小気味よい音を立てて踊る乾燥麺に、お湯という愛情を注ぎ出来上がる即席物の事を夢想する。

ぶぶかにお湯を入れて会議に参加してはいけないだろうか、、などとくだらない事を考えていると委員が次々と部屋に入ってきた。

いつの間にかぼんやりと決まった自分の席にそれぞれが着いていく。

会議はなんの音もせず、ぬるっと始まった。

ぶぶかには湯切りをした後の麺に掛ける用のマヨネーズが個別に入っているのだがぶぶか自体の賞味期限が明らかにマヨネーズの賞味期限の限界値を突破しているのだ。明らかな矛盾だ。この容器がピラミット構造を模していて、内容物の腐敗を遅らせているのか?無聊を持て余し、くだらない思想に耽っている間にも、各班が進捗を委員長に報告するといういつもとなんら変わりない会議が進行している。

目を瞑ると何処からかぶぶかの匂いが漂ってくる、鼻腔を刺激する幻臭についつい没頭していると慌ただしい足音が廊下から聞こえてきた。ぶぶかの匂いが消え去り、変わりに部屋に駆け込んできたこの男のせいで、平穏な会議は終わりを迎える。

小柄な体躯に、伸ばしているのか伸びてしまったのかわからない髪、それに炯々とした目つき。左斜め前のパイプ椅子が不憫なほど力強く腰掛け、息を整えているこの男こそ、サイングラフィック班のリーダーであり今回の会議の波乱の中心人物「R」である。

サイングラフィック班というのは告知やポスターに使われるグラフィックのデザインを考える班なのだが、この進捗がなかなかに悪いらしく、Rが会議に参加する前にも少し話題に上がっていた。

彼が到着してからしばらくして彼の担当するサイングラフィック班の成果報告になると、その実情が明らかになってきた。どうやら班の中にイラストレーターという編集ソフトを使いこなせる者がいるのだがその班員とRとの情報のやり取りがうまくいかず、遅れをとってしまったらしい。

ここで唐突ではあるがRの右斜め向かい、私の一つ左隣に座る「T」という女生徒の話をしよう。

彼女は老婆になっても滅茶苦茶可愛いタイプの、愛嬌が渾々と泉のように湧き出ている女性である。派手なメイクは基本的にせず、ボーボボや映画のTシャツなどをラフに着こなす。竹を割ったような性格で、男女隔てなく接する姿勢に学科内の男全員が一度は惹かれ、彼女と安いアパートで質素ながらも幸せに溢れている生活を送ることを妄想する。 

そんな彼女はサイングラフィック班のイラストレーター使いと懇意にしており、きっとサイングラフィック班の遅れや、Rの不満を聞かされていたに違いない、リーダーしか参加しない会議に心優しいTは友人の憤りを一身に背負い参加し、Rに理不尽を詰問し始めた。

Rは部外者に口を出された事で苛立ちを覚える。

割愛するが紆余曲折ありイラストレーター使いまでも会議に参加し「T」andイラストレーター使い VS「R」という形の論争になる。スパーリング程度だった会話は熱を帯びムエタイの試合レベルの攻防戦へと発展、WHOが見たら卒倒する量の唾が行き来した。

しかしこの侃々諤々の論争というのは実は私にとって、さほど重要ではない。

長々書いた今迄の話は単なる序章に過ぎず、本編へ続く扉を開くTへの発言が、勢い余ったRからこぼれ落ちる。

「一回黙っててくれる?」

放たれたあまりに鋭利すぎるこの一言は、あの男を動かすことになる。

Rの一言によって一閃されたTは意気消沈、面くらい黙ってしまった。

そこですかさず、あのMが立ち上がる。

覚えているだろうか、自分より早く教室で待機していたあの高身長な男だ。この高身長Mというのは、自分の立ち回りというのを完全に理解しており、その八面六臂ぶりはしばしば私を驚かせる。数キロ先にいる乙女の傷心さえ、モノの数秒で察知する乙女傷心レーダーは軍事開発に応用されているという噂まで耳にする。

やっている事はジェントルメンなのだがどうも鼻に付く。

私だって青空に届きそうな身長と、女慣れしたゆっくりとした話し方、落ち着いた低音、甘いマスクを持ち合わせていたならば傷ついた乙女の救護にいち早く向かう衛生兵になれたであろうに、、、、実際装備されているのは不摂生に祟られた華奢な体と、いつでも不服そうな顔面、伸びかけの坊主頭、異性耐性のない会話スキル、、、、、、。

対極に存在するような自分のステータスを確認すると、苛立ちと焦燥と嫉みから私は思わず、頭を抱え

「M、、お前は、、、ずるいぞ、、、、そうやって弱った乙女に擦り寄って、、、俺だって話しかけたいんだ、、、、」

と所憚らず慟哭にも近しい嘆きを披露。

すかさずオープンキャンパス委員長が

「お前が一番下劣だよ。」

と柔らかい笑みで私を一蹴する。

委員長に相応しい歯に衣着せぬ物言いは、単体では心の臓を抉るほどの凶暴性だが、推敲に推敲を重ねられた文章のように無駄が無く、美しい屈託のない笑みと共に放たれると、そのギャップに一切の救いを感じられない直裁な言葉も何故か心地よく感じてしまう。

私が委員長にケチョンケチョンにされている間にも、Mのゆったり低音ボイスとTの闊達な声が背後で行き来する。ちなみに静かな私の慟哭はフルシカトである。

そんなやつに籠絡されてはいけない。Tよ、考え直せ。

奴の毒牙にかかってはいけない。

Mなんて放っておいて、俺と一緒に映画でも観に行かないか?待ち合わせというのは得意と言ったら嘘になるが、君の為ならどんな時間帯であっても何処にでも繰り出そう。車道側を、歩幅を合わせてゆっくり歩くと約束するし、入院程度で済むなら暴走したトラックに身を挺して突っ込んでやる。映画館で頼むキャラメルポップコーンはわたしが率先してキャラメルのついていないやつを食べる。どんなにエンドロールが長くても最後まで観たいのならいつまでだって付き合おう。帰りはどうする。興奮が冷めないうちに何処かのお店に入って、観た映画について語るのはどうだろうか、いやそれもいいが何か晩御飯の材料を買って帰ることにしよう。

俺は油淋鶏を作れるんだ。

スーパーへの道中君が笑顔でする、観た映画のモノマネは大袈裟な身振り手振りのせいで全く似ていないが正直、何億という製作費のかかった本編より私は好きだ。

何が食べたいか聞くと、心配になるぐらい険しい表情で考え始め、様々な料理名が宙を舞い収拾が付かなくなる。絶対に「何でもいいよ」と言わない姿勢に惚れ惚れする。

到着したスーパーの扉が気怠げに開き、冷気が足元に絡んでくると、君は無邪気に「冷たいね」と笑う。

業務用のクーラーの匂いで夏がすぐそこまで来ていることに気がついて漠然とした高揚と期待を感じるが、いつの間にか使い古されたスーパーのかごを腕に下げている君が、吸い込まれるように蛍光灯で照らされた奥の棚に向かっているのを見て、慌てて追いかける、そうすると夏特有の胸騒ぎは再び心奥にしまわれてしまう。

このように幾百ものパターンで彼女との夏をシュミレーションするが、98%が私の自意識過剰と、心配性、プライドのせいで夏を超えることはできず、破局。

残りの2%は死別という結果に至った。

私の青春を映し出す水面には漣すら立たず、静寂の響き渡る凪状態がここ数年続いている。

じっとりとした暑さの夏が、アスファルトを伝って近寄ってきている。

結句浪人やらなんやらで澱みきった私の水面にわざわざ浸かろうとする物好きなんていないんだ、淡い期待を裏切る、暑いだけの夏。キャピキャピ、ピチピチの一年生。二年生の各所で見え隠れする恋の予感。自分を遥に凌駕する入道雲。水面に波紋を描くオニヤンマ。驟雨によって一気に表情を変える鉄筋コンクリートの校舎。地面にポッカリと開く、蝉の古巣。誰も使わない公衆電話に群がる無数の虫。額で玉成す汗。背後で繰り広げられるTとMの会話。

周りで起きている全ての事に満腔の怒りをぶつけたくなる。

とにかく文化人や知識人に殴りかかってやる。梅雨の張り付くような湿気や突然の雨ですら美しい思い出にしようとしているカップルにも襲いかかってやる。近所の西松屋で買った幼児服を着て、入道雲の蔓延る青空の下、竹課題に勤しむ一年生全員にハーゲンダッツを配った後、全身に蚊取り線香を巻いた状態でガソリンを浴びて、着火。最後ぐらいみんなの役に立ちたいと思います。

俺はとにかく寂しいだけなんだ、助けてくれ。

多摩美術大学で過ごすニ度目の夏に、自分でも制御できない孤独と怒りを身に纏い突入しようとしている。このままでは発狂して人面犬伝説のある多摩美の裏山に隠遁してしまう。

しかし、隠遁したとしても、欲に頗る弱い私は食欲に負け、ぶぶかを求めて山を降りるに違いない。

スーパーへの道中、落ちているうまい棒を見つけ、喜びの涙を垂らし食らいついていると、通行人に人面犬だと勘違いされ通報。

気が付かないでうまい棒を貪る私を取り囲む警察官。永遠にも感じられる署での事情聴取、、、、、。

眼前に立ち籠める暗い未来に、先程までの食欲は失せ、ぶぶかも何もかもMに渡して完全降伏するのが一番丸いのではないか、とさえ考え始める。

今の私を俗世と繋ぎ止めているのは手元のぶぶかとオープンキャンパスの成功のみだ。

だからどうかこれを読んでいる読者諸君オープンキャンパスに来てくれ。

私の咽び泣くような孤独を癒して欲しい。

ぶぶかは私が上手に作る、諸君はオープンキャンパスに来てくれ。

                                     作:山崎遥介

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