マゼンダピンクの小惑星

委員オーキャン

オープンキャンパスを終え、雷鳴と蝉時雨と課題の締め切りに追われる学生の阿鼻叫喚が南風に乗って横殴りに降り注ぐデザイン棟の5階、カップ焼きそばのソースの香り漂う、飲みかけのペットボトルが数本パイプ椅子に取り囲まれた机の上に放置されていること以外特筆すべき点のない部屋で、1人で踊る誰かさんに触発されてキーボードを叩く。

束の間の非日常もいつもの日常も等しく尊いものに思えるのは、忙しくとも心は満たされることばかりの日々に温かな充足感を噛み締めているからだろうか。

建築・環境デザイン学科では毎年、2年生が中心となってオープンキャンパスを運営しており、2年生担当の私は彼らのサポート役という立場で携わることになった。幸か不幸か、今年度のオープンキャンパス委員には、2年生の中でも特に個性溢れる面々が集うこととなった。

サイクロントビヤを筆頭に、明朗快活なK、高身長のM、小生意気なR、愛嬌に満ち溢れたT、圧倒的社不のN、半死半生のH、まったく会議に集中しないYなど、彼らの個性の豊かさに加え、その多様性ぶりを一言で表すのは非常に厄介だが、”国会前で行われる何かしらの集会に参加していそう” というのが現時点での彼らに抱く私の所感であり、ホンネである。

試しに建築・環境デザイン学科のInstagramのリール動画を見てみて欲しい。彼らの奇々怪々な日常を垣間見ることができるだろう。

そんな彼らの色がよく現れているのは、オープンキャンパスにおける建築・環境デザイン学科のテーマーカラーだろう。毎年オープンキャンパスでは、各学科ごとのテーマカラーに則ってビジュアルを作成するのだが、環デは例年緑と相場が決まっている。今年は環境デザイン学科から建築・環境デザイン学科へと学科名称が変更されたこともあり、オープンキャンパス委員を中心に、緑の補色であるピンクをテーマカラーとして決定した。というのは建前で、ホンネはオープンキャンパス委員会代表二人の髪色がピンクだったため、である。

聞くところによると、同じ屋根の下で学びを共にするプロダクトデザイン学科では、授業の一環としてオープンキャンパスが位置付けられているため、教授のサポートも手厚かったり、グラフィックデザイン学科ではその大部分を、外部の業者に委託して実施したりしているそうだ。しかし、建築・環境デザイン学科では2年生が主体となり、あくまで有志の学生を中心にオープンキャンパスの運営が成り立っている。学生主体のオープンキャンパスといえば聞こえはいいが、その実、学生に丸投げのオープンキャンパスといっても過言でない。学生が皆ボイコットをしてしまえば、デザイン棟の5階が給料日前の居酒屋のようになってしまう危うさを孕んでいるのが、建築・環境デザイン学科のオープンキャンパスなのである。そういうわけで彼らには、オープンキャンパスに協力してもらっているといった方が正しいだろう。

ならいっそ私は、一緒に作り上げるくらいの気持ちで楽しもう。落ち着いた雰囲気の緑からバチバチのピンクにテーマカラーを変更することが決定した会議で、私はオープンキャンパスの成功を案じるどころかこの珍妙な集団の愉快な言動を楽しんでいたし、オープンキャンパスはみんな髪をピンクに染めようという提案までした。これには首を縦に振るものはいなかったし、まったく会議に集中しないYはずっと、ぶぶかを眺めていたけれど。

オープンキャンパスまであと4日と迫った夜、数年ぶりに購入したブリーチ剤とカラー剤で骨張ったリュックサックが、生ぬるい夜を肩で切って揺れる。蝉の声はどこへやら、頭上では葉擦れの音だけが滞留した空気を掻き乱すように鳴っている。

星空を見上げて、空の丸みを感じるのは、地球が丸いことを知っているからだろうか。地球が丸いことを知っている私には、昔の人がどうしてこの星が平らだと思ったのか知る由はない。まったく私ならいろんな方向に回転を与えて、満遍なく太陽が当たるようにするのに、地球を作った神様は、きっとガサツな性格だ。せめてリュックサックと背中の間に広がる太平洋から季節風でも吹いてくれればいいのだが。

年代物の電子レンジのようなこの星の夏というやつは、熱心に北半球ばかりを温めている。

泡立った麦茶を流し込み、駅から家までの一本道を足早に抜ける。

冷たいシャワーで汗を流し、鍋にこびりついたカレーでさえ綺麗にこそげ落とすことのできそうな見事なタワシ頭にドライヤーを当てたときには、時計の針は12時を回っていた。ブリーチ剤を取り出したリュックサックは、冬眠中のクマのように部屋の隅で萎んでいる。

2剤容器を立てて置き、パウダーを流し込みよく振ったら、1剤を加え再び振り混ぜる。ガスがたまらないよう直ぐに蓋を開け、くし型ノズルを装着すると、洗面所に床屋の匂いが充満する。溶剤がつくと地肌が荒れるため、馬油をこれでもかとおでこや耳に塗りたくり、付属のビニール手袋を装着したら、洗面所の鏡と正対する。勢いよくブリーチ剤を頭頂部に噴射すると、冷たい痛みと共に、刺すような匂いが鼻腔を通り、やがて肺の奥まで充満する。

痛い。ほぼ坊主だから尚更痛い。毛先から地肌まで1センチほどの猶予しかないためとても痛い。

追い討ちをかけるかのように頭をラップでぐるぐる巻きにして、頭皮と髪との距離を更に縮める。全身に真夏の満員電車のような不快感が駆け巡る。これまで犯してきた数々の不節制を、たった一度のブリーチが凌駕する勢いで頭皮を痛めつける。とにかくこの焼けるような痛みに何もせずただじっと向き合うことは、一人でサウナに入ると3分で出てきてしまう私には難しく、どうにかこうにか気を紛らわそうと、薬品の匂いの充満する洗面所で冷えた夕飯をかき込んだ。髪を染めることと土曜日の新聞のナンプレだけは、始め出したら引き返してはいけないのだ。一度目のブリーチを終え髪を洗い流すと、洗面所の三面鏡には、金髪頭の自分が恍惚の笑みを浮かべ少しづつ角度を変えながら並んでいた。

痛みは喜びだ。が私の座右の銘ではあるが、喜びも続けて味わえば得てして虚しさへと変容するものである。それにせっかくの喜びは幾度かに分けて味わいたい。そんなわけで私は3日間かけて髪の毛を環デのテーマカラーであるピンクに染め上げた。

不羈奔放なオーキャン委員を束ねることもできなければ、コロナのせいでそもそもオープンキャンパスのオの字も知らない私には、彼ら自身の色がよく入るように、せいぜいブリーチ2回分までのサポートと、自分の髪をピンクに染めることぐらいしかできないのだ。

オープンキャンパス前日の朝、いつものように洗面所の三面鏡の前に立ち、髭剃りを構えると、見慣れないピンクの頭が少しづつ角度を変えながら並んでいた。駅までの一本道がやけに短く感じるのは、間違いなくこの浮かれポンチな頭のせいだろう。

嗚呼、蝉の声をイヤホンで聞きながら散歩がしたい。さっぱりしたものをがっつり食べたい。絶対音感の人とコンサートに行って、耳元で当てずっぽうなドレミを囁きたい。いつか娘が産まれてきたら、マイと名付けよう。

前日準備は案の定夜遅くまで及び、マゼンダピンクの小惑星が、夜のデザイン棟を自転しながら公転する。道中で撮影したリール動画は、なぜか中国のSNSでバズったと耳にしたが、会期中やけにすれ違う留学生から鼻で笑われているような気がしたのもこれなら合点がいく。

売れっ子ホストばりの立ち回りでデザイン棟の卓という卓を飛び回った後でも、やっぱり浮かれポンチな頭のせいで寝付けない私は、深夜の敷地調査に繰り出した。

雨上がりのアスファルトに、雪駄が湿った音を立てる。

昔からそうだ。運動会などのイベントごとの前日にはなかなか寝付けない。それどころか大学生になってからは、旅行の前日になると決まって高熱を出して1週間以上寝込むようになった。胸の高鳴りを深刻な動悸だと脳が誤解するのかもしれない。

胸の奥まで滑り込んだ夜気に、心臓の鼓動が一段とギアを上げる。

この街で1番朝日が早く当たる部屋に住みたい。皆んなが一斉に西に向かって歩いたら、地球の自転が早くなって、この夜はすぐに明けるだろうに。

年老いたカラスのしわがれ声で、白昼夢から目覚めると、白み始めた空に向かって踵を返す私を、浅川の流れが追い越していく。

家に辿り着いた頃には、空と私の頭の境界はすっかりと曖昧になっていた。そういえば委員のうちの1人が、朝7時には大学に行くと言っていた。一息つく間もなくポストから抜き取ったナンプレ付きの朝刊を玄関に放り投げ、昨日の空気と今日の空気をかき混ぜるように、オーキャン委員の待つデザイン棟の5階へと、日向を選んで歩いていく。

中国のSNSで流れてきたらしい

オープンキャンパスを終え、雷鳴と蝉時雨と課題の締め切りに追われる学生の阿鼻叫喚が南風に乗って横殴りに降り注ぐデザイン棟の5階、カップ焼きそばのソースの香り漂う、飲みかけのペットボトルが数本パイプ椅子に取り囲まれた机の上に放置されていること以外特筆すべき点のない部屋で、1人で踊る誰かさんに触発されてキーボードを叩いている。

水曜日なのにオーキャン委員の侃侃諤諤の大論争が聞けないことに幾許かの寂しさを覚えることもしばしばで、マゼンダのトナーインクの空箱を眺めては、傷んだ髪の毛に覆われた頭を撫で付ける。

これを書き終わったら髪を切りに行こう。

オーキャン委員と過ごした日々が、決して色落ちすることのないように。

                                     作:今井 晴登

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photo by 高身長のM

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